2019年3月31日日曜日、伊勢電気鉄道第2回の研究会を開催いたしました。この日は第1回の南端旧天白駅近くの三渡川橋梁跡(右岸)から、大神宮前駅跡まで、現地での研究会を実施しました。風は強いものの、今回は雨に降られることはありませんでした。
宇治山田駅に集合したあと、一路、三渡川橋梁跡へ。
三渡川橋梁の時間はちょうど干潮で橋脚を掘り返した跡が見られるはずでしたが、強風のため、水面が波立っており、見ることができませんでした。
その後、松阪地区の近鉄道路を走って、本居神社へ。もちろん、本居神社前駅の傍です。
参拝後、松坂城址へ。ここで、お弁当の搬入をいただき、みなさんで桜を愛でました。
そこで、記念撮影を実施しました。
また、近鉄道路を走って、松阪電気鉄道との接続駅花岡駅跡へ急遽立ち寄りました。
民家の壁となっている橋台跡は松阪電気鉄道の第1回でも見学しました。
本来の近鉄道路はここまでで、近年道路が整備され、東(伊勢方面)へ延びています。
この道を更に伊勢方面へ。省線とのジャンクション徳和駅を通過、上櫛田駅付近の遺構へ進みます。
上櫛田駅跡付近の路盤の跡では、地元の方にお話を聞くことができました。その方がお嫁に来られたのは昭和30年代。もちろん、走っていたのはご存じでしたが、実際の走行風景はご覧になったことがないとのことでした。おかあさん、お邪魔いたしました。地元の方とのふれあいも大切です。研究のために、我々はお邪魔させて戴いておりますが、メンバーのみなさん、ちゃんとお礼を述べていらっしゃいました。
路盤の隣には三重県特有の丸石が使われています。
この辺りはいくつか残っているので、徒歩で進みます。
伊勢街道を歩いて行くと空き地があります。(民地です)
ここが上櫛田駅跡です。
上櫛田駅跡次に進むと、神社の参道から、上櫛田駅方向を望むことができます。実はこの参道、見落としておりました。廃線跡めぐりは行く度に何か発見があります。
ふと足元をみると、架線柱の土台らしきものが。
ここで、この幅では複線は無理。この架線柱の土台はなんで?で盛り上がりました。
これは調べきれる自信がありません。(個人的な感想です。)
上櫛田駅から、旧漕代駅跡まではいくつか痕跡が残っています。
それを見学するメンバー。
圃場整備されたり、住宅地となったりしていますが、いくつか痕跡があります。
このあと、櫛田川の橋梁がこの辺りだったとの説明後、昼食のため、斎宮歴史民俗博物館へ。
寒いので、車内で食事をされる方もおおかったです。
食後、今度は旧漕代駅跡付近の遺構を。
すみません、説明をしていて遺構の写真を撮り忘れました。
旧漕代駅付近から、路盤は日本最初の有料国道(参宮道路)になります。
第1回の際、訪れた岩田川橋梁(津興橋)が消えたあとの最大の橋脚遺構が、県道玉城橋橋脚です。
伊勢電気鉄道時代の橋脚をさらに強化したようになっています。
そして、汁谷川橋梁跡跡へ。汁谷川は宮川の支流です。
汁谷川橋梁は説明をしていたので、写真が撮影できておりません。表紙を参照ください。
次に宮川橋梁の右岸へ。お花見のお客さまもおおく、短時間でしたが橋脚跡を見学しました。
このあと、伊勢市駅の幻の神代港線を物語る、ジョイント部分の見学、宇治山田駅の見学で無事解散いたしました。
このほかにもいくつか見学をいたしましたが、割愛させていただきました。
参加の皆さん、おつかれさまでした。
今回もたくさんの知識を持ち寄って、みんなで知識を磨く、好奇心をくすぐる、知的な社会科見学でした。
今回参加できず、現地訪問をお考えの方は、事務局までご相談ください。
【おまけ】